1987 公開時にいただいたコメント

1987年公開時にいただいたメッセージをご紹介させていただきます。(敬称略)
佐藤忠男(映画評論家)
「ゴンドラ」は、美しい情感を持った映画である。やさしく、心がこもっており、ていねいな仕上がりだ。映画づくりが総じてますます乱暴な方向に向かってゆく傾向の中にあって、これは貴重なことだと思う。
石井聰互(岳龍)(映画監督)
薄っぺらな愛と感動に占領された日本映画の銀幕(スクリーン)上の「乾ききった夢(ドライ・ドリーム)」を潤すに十分な、ナイーヴで水々しい感性にあふれた劇映画である。その美しきナイーヴさの底に秘められた「浮遊する魂」の叫びは、満たされない感動(カタルシス)の呼吸困難に喘ぐ、ガラスケースの中の観客たちの心の奥の大切な部分に、ある共振をひき起こすに違いない。
川喜多かしこ(川喜多記念映画文化財団理事長)
日本では、監督の熱心な努力にも係わらず、まだ上映が定まりません。才能ある新人監督の多くがいつも味わう悲劇です。伊藤監督は次の創作に費やすべき時間と労力をさいて自主上映を決意しております。頼りとするのは一般の観客です。派手な宣伝も新聞広告もなく、ただ作品の質と観客の良識を信頼しての決意です。現実と詩情とが不思議な融合を織りなすこの作品が、一人でも多くの観客を動員し感銘を与えることを心から願っております。
北川れい子(映画評論家)
この作品は、鮮やかに垂直から水平へ、リアルから幻想へ、人工的無機質から自然な光景へと変身し、いつの間にか少女も青年も透明な存在となって風景の中に沈んでいる。「ねェ、おとなになって、良かったと思ってる、むなしくない?」わずか11歳の少女が、これほど重いことばを渇いていってのけるとは・・・。上村佳子と伊藤智生は、日本映画界の新しい原石だ。
清水 晶(映画評論家)
ゴンドラには全く心を洗われる思いだった。どうせ無名の新人の作品とたかをくくっていた「泥の河」を見て以来の驚きといっていい。実際に閉鎖症だった少女、上村佳子の出演が決定した時に、この映画の成功が約束されたと言っては言いすぎだろうか。背景が東北に移ってからの少女が初めて家庭の暖かさに触れる運びのほのぼのとした情感。こまやかでいてさりげなく親子の断絶とか家庭はいかにあるべきかといった問題に迫るのである。
田中千世子(映画評論家)
淋しいくらい自立している少女かがりに惹きつけられた。広い宇宙のただ中で我ひとり、少女の自我は全世界に向けて攻撃的だから美しいのである。しかし海に遊ぶかがりは、真実幸福そうだ。自我から解放されて初めて子供らしい時間を持てたからなのだろう。少女の心からの笑みを捉えた伊藤監督は、優しすぎるという欠点をバネに、これからもヒューマンな映画を作っていくに違いない。都市の孤独を描いた秀作。
唐月梅(中国社会科学院外国文学研究所)
警告の芸術、映画「ゴンドラ」は、少女主人公の目を通して、人間と人間、人間と社会、人間と自然との複雑な関係を深刻に観察し、畸形な社会の画面が私たちの眼前にまざまざとくりひろげられている点は、大変成功であると思います。
林 加奈子(映画評論家)
ゴンドラにある二つのイメージは、日本という国への“懐しさ”であり、日本人であることへの“こだわり”に通じる。都会でもなく田舎でもない一つの日本という国。この映画は一人一人に対して、このままで良いのかと深く語り掛けている。現在の足固めのために、過去に向かって振り返る姿勢をこの映画から求められた私達は、今真直ぐに自分に向かって自らの問い掛けから始めてみなくてはならない。私達一人一人の未来のために。
森崎 東(映画監督)
「ゴンドラ」は迸る作品だ。水彩画の筆の動きに、微かな、幼児の記憶のように幽かな音を入れる、という感性の迸りに、日本映画、いや全映画の中で、かつてなかったこの大胆で繊細きわまる感性の迸りに、そしてラストシーンの夥しい灯のゆらめきの迸るような美しさに感動しない人はいない筈だ。今、この映画の迸りは、せき止められている。日本映画界は、この迸るものをして、完全に、烈しく迸らしめねばならない。
大林宣彦(映画監督)
まるで十歳の少女、そのもののような映画だ。ぶっきらぼうで、かたくなで、挑戦的で。だから限りなく優しくて、いたわり深くて。真の底からリアリストであるがゆえに、とめどなくロマンチシズムを紡ぐ。十歳の少女は、それ自体、奇蹟だ。その少女の目から、人間を見た。その時、例えば、海は固有の物語となった。そこにこの作者のこだわりがある。ギクシャクしたそのこだわりが、ひとつの生命力を持ち、音楽となり、言葉となった。その言葉に耳を傾け、その心の響きに耳を澄ます悦びが、この映画にはある。美しい映画だと、ぼくは思う。
浦岡敬一(日本映画編集協会理事長)
横浜放送映画専門学校の卒業生が、「ゴンドラ」をひっさげて登場した。しかも35ミリ映画だ。監督の伊藤智生、撮影の瓜生敏彦、編集の掛須秀一、皆、納得のいく登場だった。背伸びすることなく、感情豊かに青春の淡い日々の記憶を甦らせ、見る者の心に親しく響いてくる。意外な程の出来ばえに胸が高鳴った。ワンショットの冗漫すれすれの長さをもってこそ、私達が失いかけていた映画作りの本質を情念を教えてくれる。失意の映画人に警鐘を与えてくれた「ゴンドラ」の成功を心から祈りたい。次回作品も心待ちである。