1986年ロードショーまでの道のり < 公開当時のプレスより >

1986年ロードショーまでの道のり < 公開当時のプレスより >

完成までの制作過程

1985年4月
完成原稿脱稿・製作資金準備の為に奔走
7月
銀行からの融資に備えて、株式会社OMプロダクション設立
融資と同時に、制作準備開始

アイドルやゴシップなどの話題性に頼ることなくテーマ主義を貫き、映画が映画でしか成し得ない本当の独創性を意識した創作姿勢にこだわると、この作品はごく自然に独立プロ製作という形体を選ぶことになった。

1985年8月
1日・東京ロケからクランク・イン
15日~30日・下北半島ロケ
9月
高層ビルのゴンドラ上による撮影交渉が難航し撮影中断
10月
3日・新宿住友ビルの協力を得て撮影再開
11日・クランク・アップ
12月上旬
編集作業と同時に音楽制作進行
1986年1月下旬
アフレコ開始
2月下旬
特殊撮影部分追加撮影
3月下旬
ダビング
4月9日
0号試写(第一回完成試写)
下旬
再ダビング
5月10日
初号試写(第二回完成試写)

着想からクランク・インまで約1年半、オールロケによる撮影日数40日間、編集と音楽制作に約5ヶ月、クランク・アップから完成まで6ヶ月を要した。
総製作費 ¥50,000,000-のうち、約8割は富士銀行の融資に依った。

 

その後の公開活動

まず、私たちは信じていました。私たちが大好きだった作品が何本も大ヒットしていたその当時、それらの作品を上映している映画館なら、きっと「ゴンドラ」を上映させてくれることを・・・。作品には絶対の自信があったのです。

1986年5月
完成と同時に都内にあるいくつかの単館ロードショー劇場に上映の交渉を開始するが、試写審議の結果、劇場のカラーに合わないという理由で上映は不可との回答。

夏近くになってようやく、日本における映画の配給・興行システムの現実が私たちにも少し判ってきました。誰に観てもらっても作品の評判自体はちっとも悪くないのです。しかし、過去の興行成績を前提にした観客動員予想に関するプロのシビアな反応には驚愕しました。この作品の主演の役者名とシノプシスに目を通しただけで劇場での公開は不可能だと判断するプロもいたほどです。私たちが劇場に多額の興行保障金を支払うというリスクさえ背負えれば、話は別だったのですが・・・。

いったい何を信じていたのかがすっかりわからなくなってしまいました。自分達の無力さが限りなく情けなく思えました。しかし茫然として暇はありませんでした。とりあえず私たちは「ゴンドラ」という作品が不良品でないことだけは信じていました。

そして日本での公開交渉活動を一時停止し、英字スーパー入りプリントを一本作り、海外での作品評価に期待を賭けてみることにしたのです。

1986年9月
  • 監督が「ゴンドラ」のビデオを携え単身渡米。
  • KUZUIエンタープライズの協力を得て、ニューヨークで開催されていた映画祭(AMERICAN INDEPENDENT FEATURE FILM MARKET)にプライベートで参加し「ゴンドラ」の広報活動を展開。

ニューヨーク近大美術館長のマンチェ女史をはじめ、滞在中に可能な限り、出逢った人々に「ゴンドラ」をビデオで観てもらいました。そして映画に対峙するわたしたちの真摯な創作姿勢は、作品の評価と共に予想以上の理解と激励を得ることができたのです。

1986年11月
  • 監督帰国後、再び自信を得て上映交渉を再開。
  • 香港で1987年1月に開催される第2回 JAPAN INDEPENDENT FILM FESTIVALより招待。参加決定。
12月
1987年9月 カナダで開催されるトロント国際映画祭からエントリーの要請あり。

善戦空しく、夢にまで見た「ゴンドラ」の一般公開は年内決定を果たせませんでした。
そして、尊敬するアンドレイ・タルコフスキー監督の突然の逝去・・・
私たちは得体の知れない失意の中で新年を迎えました。

1987年1月
4日~8日 香港・第2回JAPAN INDEPENDENT FILM FESTIVAL出品上映。
監督も招待をうけ、映画祭に参加。
2月
  • トロント国際映画祭招待決定。
  • 川喜多記念映画文化財団理事長・川喜多かしこ夫人に「ゴンドラ」を観ていただく。

“方針は間違っていない、作品の質と観客の良識を信じて頑張りなさい”という川喜多かしこ夫人の激励の言葉に、私たちは再び自信と緊張を取り戻しました。「ゴンドラ」は、ようやく信頼できる業界の先輩に出逢えたのです。

迷いなく劇場交渉を続けましたがなお、上映不可の回答の連続。しかし私たちは「ゴンドラ」が、多くの人々に観ていただける作品であることを深く確信していました。

1987年4月
  • 日本映画ペンクラブでの推薦審議試写の結果、推薦作品に決定。
  • 11月にウィーンで開催されるウィーン・シネアジア映画祭から招待決定。
6月
第2回・東京国際映画祭ヤングシネマ部門出品選考試写。

川喜多記念映画文化財団のご支援により「ゴンドラ」が得ることのできた反響の中で、自主公開という長い道程をたどって製作費を回収し、次回作に臨むことは決して無謀なことではないと素直に思えていました。むしろそういう地道な活動を続けながら私たちが、私たちの持つ微力のすべてを尽くして闘うべき相手が見えはじめていたのです。いったい私たちの目に見えない“敵”とは何だったのでしょう・・・。私たちは考えました。

そしてまず二日間だけの東京での特別先行封切を決定したのです。この短期決戦に意図するものは、単なる観客動員数だけではなく一般の人々の反応を知ることにありました。

この日、先行封切りを決意して集結した「ゴンドラ」の宣伝プロジェクト・スタッフが再び、配給・公開プロジェクト・スタッフとして結集しました。

【配給/公開/宣伝/プロジェクト・スタッフ】

  • 林 加奈子
  • 鈴木嘉弘
  • 高井規勝
  • 国府田 誠
  • 松岡周作
  • 須田和明
  • 青柳克幸
  • 黒木啓子
  • 菅野秀哉
  • 角田昌子
  • 戸部栄子
  • 原田正樹
  • 藤城勇人
1987年7月
東邦生命ホールを予約。宣伝活動を開始する。
8月
  • 優秀映画鑑賞会推薦試写審議の結果、推薦作品に決定。
  • 12月にハワイで開催されるハワイ国際映画祭にエントリー決定。
  • 東京国際映画祭ヤングシネマ部門出品選考に落選。
9月
10日~19日 トロント国際映画祭(FESTIVAL OF FESTIVALS)出品上映。
監督も招待をうけ、映画祭に参加。
10月
渋谷/東邦生命ホールにて特別先行封切り敢行。

「ゴンドラ」の先行封切りは2300余名の人々を集め、大盛況のうちに幕を閉じました。この2日間で私たちが得た1300通にのぼるアンケートには、80%を越える驚くべき支持率をもって一日も早い公開が、しかもこの作品にふさわしい‘自主配給’という丁寧な公開方法が静かに望まれていたのです。そしてそこにには映画をつくり送り出す側と、それをうけとる側になくてはならない信頼関係がいかにあるべきかがはっきりと示唆されていました。私たちが為すべきことはこの信頼にこたえることでした。

目に見えない“敵”の実態は明確になりました。それは過去の統計と実績、そして画一化された業界のセオリーに縛られ、ふと気を許せばそれらに流されて大切な観客との信頼関係を見失いがちな“私たち自身”だったのではないでしょうか。

既に全国各地からの上映希望もいくつかいただいていました。私たちが期待した“静かな大騒ぎ”は確かに起きていたのです。しかし私たちのプロダクションにはもはや金銭的余力はなく、資金力で自分たちの無力さを補うことは出来ませんでした。

私たちは再度、全国規模で配給・上映を希望できる大手映画会社への交渉に挑戦・・・と同時に私たちの主張する“信頼の中での仕事”に誠意をもって対応してくれる企業への挑戦・・・これに破れてからもう一度、自主配給の方向を検討することを決意しました。

  • 厚生省中央児童福祉審議会より推薦文化財の指定をうける。
  • 第2回東京たちかわ映画祭でプロデューサーが特別奨励賞受賞。
  • ATG配給審議試写の結果、配給認定許可おりる。

ATGが東宝・興行部との折衝を開始。

1987年11月
  • 3日 日本大学法学部法桜祭にて文芸創作研究会主催で日大生500名を対象に「ゴンドラ」特別上映。
  • 8日~15日 ウィーン・シネアジア映画祭に出品上映。
  • 7日・8日 岡県清水市、第一回清水映画祭参加上映。
    監督も招待をうけ、シンポジウム等に参加。
12月
  • 11月29日~5日 ハワイ国際映画祭で出品上映。監督も映画祭に参加。
  • 3日 日本カトリック映画視聴覚メディア協議会により
    1987年度 OCIC日本カトリック映画賞受賞。
  • 日本映画撮影監督協会選考・第31回 三浦賞にノミネートされる。
  • 第9回ヨコハマ映画祭〈1987年度日本映画ベストテン〉で「ゴンドラ」が第10位に入選。
    2月映画祭での上映決定。
    この映画祭では監督が新人監督賞・カメラマンが撮影賞も受賞した。
  • 国際交流基金より依頼があり、2月にニュージーランドで開催されるニュージーランド現代日本映画への参加決定。
  • 1月にインドのトリヴァンドラムで開催されるインド国際映画祭(FILM OTSAV’88)に出品決定。

ATG配給による公開の決定には、折衝中だった東宝興行部の返答を待たねばならず、春公開を目標にしていた「ゴンドラ」はもはや結論を待つ時間的余裕に乏しかったのです。交渉中断の了解をATGに得て私たちは、かねてよりお話をいただいていた東京テアトル株式会社〈テアトル新宿・テアトル吉祥寺・テアトル池袋・テアトルダイヤ・テアトル鎌倉にチェーン館を持つ〉に上映交渉を再開しました。すぐさま、試写審議の上検討という誠意ある対応を得て「ゴンドラ」は、“‘88春・テアトル系単館ロードショー”の方向で具体的な期日の決定を残してようやく新年を迎えることができたのです。

1988年1月
12日 興行保障なしで最低4週上映、しかも、貴重なゴールデン・ウィークをいただくという最高の条件で4月16日よりテアトル新宿での「ゴンドラ」の公開が決定した。

1987年 7月12日の決起集会以来、私たちが必死で捜しあて、みつめてきたものがようやく実を結ぼうとしている今、スタッフのひとりとして宣伝のプロでも、配給のプロでもなく、ただ純粋に映画を愛するがゆえに出逢ったこの仕事のなかで、それぞれが立ち止まり、ふりかえり、力を合わせて選択してきた方法の持つ意味が私たちにはようやくわかりました。

「ゴンドラ」を“商品”としてではなく、“作品”としてプレゼンテーションすること。
又、そのためには多くの人々の“想い”に出逢わなければならないということ。
それは“つくること”と同一線上にあるべき仕事なのではないか。

そしてその仕事を貫こうとすれば、私たちが私たち自身の手でそれらの作業を行ってゆくべきだということを私たちはもういちど確認し合ったのです。

思えば「ゴンドラ」の、製作のごく初期段階から完成に至るまで、私たちが選び抜いてきた方法は偶然にも一貫していました。そのことも含めてこの「ゴンドラ」という作品の真価が、あらゆる方面から問われようとしているのだということも・・・。

映画「ゴンドラ」がより多くの人々と出逢う長い旅はこれから始まります。私たちは又、新たな気持ちでこの作品を多くの人々に伝えてゆくことを決意しています。

1988年4月
  • テアトル新宿にて一ヶ月間、待望の劇場ロードショー公開を果たした。