2017 あらたなレビュー

2017年リバイバル上映に際して露出したサイトや、いただいたレビューをご紹介させていただきます。(敬称略)

 

「ゴンドラ」

斎藤 工(俳優)
 

劇場にて
 作品に誘われ漂う心地好さ
 胸の奥の心情を心で捉える
 恋愛感情の様な後味
 美しく 儚く 揺蕩う
 三十年の時を経て
 これに匹敵する邦画が見当たらない
 目的が明確に商業では無い
 劇場空間と映像と音楽
 空間の芸術
 感覚の芸術
 何百何千本観なくても
 この一本だけ観たい
 そんな作品

ユーロスペースでプライベート鑑賞してくださった俳優 斎藤 工さんのブログ
斎藤工務店 より
http://takuming.seesaa.net/article/446739615.html

 

 

波頭のリズム:「ゴンドラ」

高岡 健(児童精神科医)

▼「海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり」――寺山修司の代表作というべき、この短歌を映像化しえたなら、どんな作品ができあがるだろうかと、ときどき空想することがあった。海を知らない前思春期の少女は、純真無垢にみえても、ほんとうは深く傷ついている。だから、少女の眼には、外部世界が歪んで映る。他方、外部からの視線は、いつも少女の内面にまで届くことはない。ただ、下北半島出身の青年だけが、両手をひろげて、ゆがみを沿海の波頭へと置き換えるすべを、教えることができた。

▼そんな空想に、ぴったりの映画が現れた。「ゴンドラ」(伊藤智生監督)が、それだ。もっとも、1987年公開作品のデジタルリマスター版だというから、「現れた」というよりは、正確には「復活した」というべきかもしれない。いずれにせよ、映画自体は、それほど複雑なつくりではないし、ストーリー展開も特に難しくはない。小学5年生の少女「かがり」(上村佳子=子役)は、母(木内みどり)と二人でマンションに暮らしている。

▼別れた父(ヒデとロザンナの故・ヒデ)は、音楽家らしい。幻の父は、道路に五線を描き、音符を書き入れている。しかし、楽譜は、散水車によって、簡単に消されてしまう。一方、学校でいじめを受けている「かがり」は、ゴンドラに乗ってビルの窓を清掃する「良」と出会う。「かがり」は、ビルとゴンドラを描いた自らの水彩画を持って家出をし、「良」とともに、下北半島の海沿いにある「良」の実家へと向かう――。

▼「かがり」の眼には、歪んだ外部世界の像が、次々と出現する。初潮ゆえのめまい。牛乳を飲みほしたあとのコップの底を通して見える風景。調子の悪いブラウン管テレビ受像機。これらはすべて、「かがり」にとっての世界の歪みだ。少女が自分だけの力で歪みに立ち向かおうとしても、勝負にはならない。かろうじて廃線とおぼしき一対の鉄路のみが、歪みを切り裂くかにみえても、それもすぐ陽炎のような空気の歪みにからめとられてしまって、めまいの世界に引き戻される。

▼「かがり」を、死から踏みとどまらせたものは、父の遺した音叉だけだった。音叉の「a」の振動数が、外部世界を立て直す役割を果たしている。そして、それが「かがり」の内部世界と共振する。その先に現れた東北本線の鉄路は、陽炎にからめとられることなく、確実に「良」の実家がある海辺へと続く。その結果、「かがり」は、音叉以外に青森の海の波頭がつくるリズムもまた、内外の世界を同期させうることを、「良」によって教えられた。

▼ところで、寺山修司には、「ひとの不幸をむしろたのしむミイの音の鳴らぬハモニカ海辺に吹きて」という歌もある。「かがり」も、海辺の廃校でハモニカを吹くが、鳴らぬ音はない。父のメトロノームは壊れたが、ハモニカを波頭に同期させて吹き、世界を再生させたのは「かがり」自身だった。青年のひろげた両手をみながら、少女は無限の時間を自分で切り拓いたのだった。


児童精神科医 高岡 健 先生が、NPO法人 日本子どもソーシャルワーク協会のサイトに寄せてくださった映画評

波頭のリズム:「ゴンドラ」
Vol.28 更新:2017年1月25日
http://www.jcsw.jp/movie/vol_28.html

 

AV界の鬼才が80年代および現代日本の闇まで予見した名作『ゴンドラ』が30年の時を越えて復活!

増當竜也(ライター)

 1988年、ある1本の小さな映画が封切られました。
 それは1980年代の日本を象徴するバブルの華やかさとは無縁のまま、都会で孤独な生活を送る青年と少女の物語でした。
 その映像は美しく、どこか幻想的、しかしながらその奥には心の空虚さや、それゆえの生きていく哀しみなど、人の世のはかない無常から決して目をそらさない力強さもみなぎっていました。
 やがて青年と少女は出会います。
 都会に居場所のないふたりの切ない存在感からは、今ふりかえると、まるで現代の日本の闇まで先取りしているかのようなものが感じられました……。

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街vol.196》
 知る人ぞ知る幻の名作『ゴンドラ』が、およそ30年の時を越えて、現代の日本においてついにリバイバル上映!

|光が強ければ影も強い1980年代を真に象徴する作品

 映画『ゴンドラ』は、名匠・森﨑東監督の代表作『黒木太郎の愛と冒険』(77)の脚本に参画し、映画監督志望の朴訥な青年・伊藤銃一役で出演(本名の伊藤裕一・名義)も果たし、その後もさまざまな映像分野で創作活動を続けてきた伊藤智生監督の映画監督デビュー作です。
 1984年に企画を立ち上げ、85年に夏に撮影、86年春に完成しながらも、「スターが出演していない」「内容が地味」などの理由で国内での興行をことごとく拒絶され、それならばと海外の映画祭に出品したところ多大な評価を得て、同時に87年10月に東京の渋谷東邦生命ホールにて特別先行上映を敢行(これを勧めてくれたのは、川喜多記念財団の川喜多かしこさんだったとのことです)。そして作品を見た多くの映画ファンの支持と応援を受け、ようやく88年4月にテアトル新宿にてロードショー公開されました。
 当時の日本映画界は、世間のバブリーな風潮を受け、明るく楽しいハリウッド映画と比較されては「暗い」「重い」「ださい」のレッテルを張られ、メジャー映画会社はその色を払拭すべく腐心していた時期で、ちょうど角川映画の勢いに陰りが見え始め、代わってフジテレビを筆頭とするテレビ局や一般企業が映画業界に参画することが当たり前になりつつある(というか、もはやそうしないと映画会社単独では映画制作のための資金繰りが厳しい)、そんな時期でもあったと記憶しています。
 (当時、合コンの席などでうっかり「日本映画が好き」などと言った瞬間、その場が白けてしまう、そんな時代でした⁉ それが今では洋画を見るのは映画オタクで、邦画のほうが楽しいとされ、さらには「暗い」「重い」「ださい」と言われていたかつての映画たちがむしろ新鮮であるとして、若い映画ファンの支持を集めているのが、世代的にはこそばゆい感すらあります)
 そういった時代背景の中で『ゴンドラ』が公開されたのは、ある意味奇跡だったのかもしれませんが、そういった奇跡を呼び起こすことができるほどの力を備えた作品であったのも確かです。
 要はあの時代、皆が明るく楽しいものばかりを追い求め、暗く悲しいものを見て見ぬふりしている中、『ゴンドラ』は当時の哀しく暗い日本の一面を的確に捉えていたのです。
 戦後の20世紀において自殺者の数が一番多い年は、バブルが弾けて長い不況期に入った1998年度の32863人(警察庁発表)ですが、それ以前は1953~1959年、そして意外にも1983~1986年にかけて、二度目の、そして前者以上のピークを迎えています。
 前者の場合、社会保障が確立する前の老年層や、戦場から帰ってきた青年たちのPTSDや時代の変化に対応できないがゆえの自殺が多かったようですが(この時期の最多記録は1958年度の23641人)、明るく楽しかったはずの80年代のそれは、一体何を物語っているのでしょう?
 この時期の最多記録は1986年度の25667人。
 ちなみにこの年、ソ連ではチェルノブイリ原発事故が発生しています。
 光が強いほど、影もまた強くなる。
 それが1980年代の真実であると、私は自身の経験からも確信しています。

|世紀を越えて今なお続く インナー・ウォーの時代に向けて

 現在、2015年度の自殺者数は24025人と一時期に比べると低くなってきてはいますが、ただしこれらの数字に未遂などは含まれておらず、また遺族の意向で事故として処理されることも多々あるとのことで、実際はその数倍は自殺にまつわる事件が起きていると捉えてよさそうです。
 また一方では、イジメや家庭内暴力などドメスティックな問題は年々露になってきており、ここにも深刻な心の問題とも、心の戦争ともいえるものが浮かび上がってきています。
 作家の五木寛之は、これを「インナー・ウォー」と呼んでいますが、映画『ゴンドラ』は、そんな日本のインナー・ウォーを先取りした映画であるともいえるでしょう。
 『ゴンドラ』でヒロインかがりを演じた上村佳子も、当時は周囲から心を閉ざす不登校少女だったとのことで、そんな彼女の心の闇ととことん真摯に向き合うことで、この映画は成立し、そこから不思議なまでに瑞々しくも透明感を伴う感動をもたらすことに見事成功しているのです。
 なお、伊藤監督は本作の制作のためにこしらえてしまった借金返済及び自分が食っていくために、1989年からアダルト・ビデオ(AV)の世界に入り、TOHJIROなる監督名で数多くの作品を演出。今では自社メーカー「Doguma(ドグマ)」を設立するなど、AV界の巨匠として君臨して久しいものがあります。
 そして昨年還暦を迎え、原点に立ち戻って映画監督としての第2作を撮るべく、デビュー作『ゴンドラ』のリマスター化を決心。
 (そう、この作品、今までソフト化されていない、映画ファンにとって幻の映画でもあったのです!)
 彼はAVを制作する際、女優や女優志望の女の子たちと面接するたびに、『ゴンドラ』の少女かがりが大人になってそこにやってきているような錯覚を覚えることが多々あるとのことです。
 彼女たちもまたそれぞれ、どこか「空虚な心」を抱えつつ、それをひた隠しながら生きていこうとしているのかもしれません。
 やはり『ゴンドラ』という作品が決して単なる過去の名作ということだけでなく、今の時代にも十分訴求するものであることを確信しております。
 映画『ゴンドラ』は1月28日より東京ユーロスペースにて1週間限定レイトショー(35ミリ・フィルム上映)。
 2月11日より東京ポレポレ東中野にて2週間(デジタルリマスター上映)。
 その後も大阪等で上映予定です。
 何せ本公開以来見る機会のなかった作品ゆえ、私自身およそ30年ぶりに再会できることに身震いしています。
 この作品と再び向き合うことで、あの時代を知る世代は当時の自分を、そして初めてこの作品に触れる若い世代も含めて、今の自分をも見つめ直すことになることでしょう。
 映画『ゴンドラ』は、映画ファンを自認する人もそうでない人も、今を生きる人すべてに見ていただきたい作品です。
 「涙で心が浄化される」などといった、メジャーの感動作の宣伝でよく使われがちな、時に歯が浮いた感のある照れ臭い言葉も、この映画に関しては素直に、そして真に美しく受け止められることでしょう。
 (文:増當竜也)

キネマニア共和国~レインボー通りの映画街~ ゴンドラ
 1月28日 シネマズ記事
 http://cinema.ne.jp/recommend/gondola2017012806/

 

冷蔵庫のなかにあるもの

神田つばき(ライター)
私は今日までにこの映画を二回見ています。初回と二回目では少しちがう感想を持ちました。
 これは孤独な少女・かがりの物語だと最初は思いました。かがりちゃんと同じ心を持ったたくさんの少女のための救済がテーマなのだ、と。
 二回目に、ちがう、これはかがりちゃんの母(木内みどりさんが文字通り体当たりで演じている、離婚はしたものの経済的には生活の質を下げられないでいる都会的な女性)の苦しさ、生きづらさがにじんだ物語でもあるのだ、と気づきました。
 少子化の原因はセックスの回数なんかと関係ありません。
 子どもを育てることを大切に考える人ほど、親になる自信を失っているからです。みんな不安なのです。
 自分は子供を持たないほうがいいのではないかと悩んだことがある人なら……
 すでに子供がいるのに、自分は子供を愛せていないと苦しんでいる人なら……
 いい歳をして(ほかならぬ私自身がそうであったように!)自分の親を許せないでいる人なら……
 ぜひ『ゴンドラ』を見てください。
 この映画はあなたのための物語だからです。(抜粋)

 神田つばきさんから、リバイバル上映に際していただいたメッセージ(一部抜粋)
 全文は<追補改訂版パンフレット2017>に掲載させていただいています。

 

歴代映画ベスト3に挙げさせて頂いた伝説の映画『ゴンドラ』への思いを書きました

切通 理作(ライター)

 30数年前、伊藤智生監督がその存在に呼ばれてしまった少女と
 スクリーンで出会ってください。

 ぶっきらぼうでなかなか喋らない少女。やっと口を開いた時のダミ声。彼女の笑顔に初めて接した時、自分はそれが見たかったのだと気付く。
 そんな少女と、どこまでも、どこまでも歩く。どんどん夕暮れになっていく。この2人はどこに行き着くのだろうか……そんな、いつか夢で見たような映画が『ゴンドラ』だった。

 なにか呼ばれているような気がするのに見逃した映画や、見れて惹きつけられたけどうまく言葉に出来なかった映画、咀嚼するのに時間がかかった映画……映画について書く時、それは僕にとって「リベンジ」であり、かつて惹かれた運命の人にもう一回出会い直すということに近い。

 だから、ようやく書ける機会がめぐってきた時は、自分が追求者になってその作品の本質を掘りあてようとしている気にさせられる。
 映画について書くことは、たいていはその一回で終わる。
 ところがまれに、何年も経って、またその映画とさらに出会い直し、もう一回書く機会が巡ってきた時、不思議な事に気付く。
 その作品の存在によって追いつめられ、問い直されているのは自分自身。つまり映画について書くということは、映画に自分が追及されてしまうこと。

 もちろん、そこまでの存在になる映画というのは、いくつもない。自分の人生の時間の中で何度も出会い直せるということ自体、奇跡なのかもしれない。
 28日からリバイバル公開される30年前の映画『ゴンドラ』。
 http://gondola-movie.com/
 今回の公開用のパンフレットに原稿を書かせて頂くというのは、自分にとってはそんな「二度目の奇跡」だった。
 数年前、この映画を久しぶりに再見した時、誰からの依頼でもなく、衝動的にブログに書いた文章があり、それを読んで頂いた監督の伊藤智生さんから今回、お話を頂いた。
 公開当時の谷川俊太郎さんや石原郁子さんの批評は公式サイトにも採録されている。その頃はまだ公の場所に文章を書くなんて思ってもいなかった自分にとっては、畏れ多い気持ちがあるけれど、自分の人生だけを頼りに徒手空拳で立ち向かうしかないと思って、今回復刻されるパンフレットに新たに原稿を書かせて頂くことにした。

 よかったら、劇場で手にしてみてください。

 

切通 理作さんご自身のfacebookよりコメントごと
 1月22日 投稿
 https://www.facebook.com/risaku.kiridoshi/posts/1300185440043562?pnref=story

切通 理作さんがパンフレットにご寄稿いただいた原稿についてfacebookに書いてくださった文章
 ご寄稿文は<追補改訂版パンフレット2017>に掲載させていただいています。

 

「ゴンドラ」に寄せて

森下くるみ(文筆家)
 初めて「ゴンドラ」を観たのはわたしが十八、十九歳の頃だと記憶している。一九九八、九年のことだ。
 当時はまだビデオデッキの時代で、OMプロダクションの入るビルの五階にVHSを収納した大きな棚があり、その中に「ゴンドラ」のマスターテープが紛れていたのだ。「ゴンドラ」のポスターは、同じく五階の編集室の壁に貼られている。
 「これ、借りてもいいですか」と監督に頼んだところ、「もちろん」と快諾してくださり、家に持ち帰ってその日のうちに鑑賞した。
 観終わって、どこがどう良かったか具体的な感想も思い浮かんだが、それよりも、ひとつひとつのシーンが鮮やかに記憶されていた。
 プールでバタアシをするかがりちゃんは水に溺れているように見えて不安だったし、ゴンドラから見た地上の景色は無味乾燥で虚しかったが、死んだ小鳥や真っ赤な口紅をひく母親、橙色に染まる東北の海は美しく、この映画の生命になっていた。それはとても大切なことだと思う。
 他人にも身内にも何かを期待するのを諦め、ひどく不機嫌な、不貞腐れた表情のかがりちゃんに、わたしは勝手に共感した。
 「誰からも必要とされていない」と思い込んだら、大人でも拗ねるだろう。目を閉じ口をつぐみ、自己防衛するようになる。自分の世界から出なくなる。
 こんな小さな女の子に、大人の事情なんて呑み込めるはずがない。
 本当は、ひとりでなんていたくないんだ。
 家にも学校にも安心する場所がないなんて、ひどく疲れるのに――。
 かがりちゃんの目の奥にある心象風景は、「孤独」などとひと言で片付くものではない。さみしいなんて、かなしいなんて、当たり前だこのやろう、ふざけるなという目である。それも、わかる気がした。

 あれから約二十年。
 この度、デジタルリマスター版の「ゴンドラ」を拝見した。わたしはもうすぐ三十七歳になろうとしていて、生後半年の息子もいる。
 VHSは絶滅しかけている。DVDも売れなくなり、レンタル事業も低迷し、映像作品は「配信」されてパソコンや携帯のディスプレイで観ることができる。映画館はどんどん閉館する。そんな世の中になった。
 けれど、何十年経とうとも強い作品は強いままだ。
 かがりちゃんの突き放すような重みのある声と、愚直なほど攻撃的な目を見て、改めて思う。
 窓拭きの青年との出会いは彼女がそれを求めたからだ。受け止めてくれる人がいるはずだと、心のどこかで願っていたから。
 この映画は、人の優しさと希望に向かって行く物語なのだと今さらながら気づいた。

 観客の皆様も、「ゴンドラ」を映画館で観る機会を自ら求めていって欲しい。
 我々はスクリーンを見上げる。
 かがりちゃんの目も、まっすぐこちらに向かう。そこから対話が始まる。
 儚げなハーモニカの音色の響く中、彼女と窓拭きの青年の旅路は観る人の心の中をいつまでも揺蕩うだろう。

子供は社会の宝

ヤン カワモト(映画監督・プロデューサー)
昨今のニュース報道を見ていて、その意味と使命と義務について考えさせられる出来事が多い。しかし、「育てる歓び」、「人が共に成長する幸せ」を忘れている気もする。 その事を30年前に見つめた美しい日本映画、「ゴンドラ」。 何も語らない、何も訴えない、何も答えを啓蒙しない。 そんな流れるような映像と淡々と展開される物語に大きな包容力を感じさせる映画です。アクションも叫びも、そして涙すら枯れている映画。 「30年経った今だから見て欲しい。」そう呟く伊藤監督。 痛々しい現実を丹念に描ききる丁寧な映像と演出が、まるでその時代の環境映像のように展開する。 そして日本は、”あの時代”から少しも成長していない。 ふとした出会いで知り合った二人が延々と歩く姿には、そうした現実を執拗に糾弾する強い監督の思いが伝わってくる。 ボクは久々に渋谷の試写会でこの映画を観た。 伊藤監督とも30年ぶりにお会いした。 映画の役者としても活躍し、映画監督としても幾多の修羅場を経験した、その鋭い視線は今も変わらなかった。 30年前にすでに成熟したその日本映画界から誕生した自主映画製作のムーブメント初期の丁寧な映画作りを体感する事ができた。その意味でも、とても素敵な雰囲気を感じさせてもらった。 「映画って、いいなー」 観終わったボクは、思わずそう呟いてしまった。 映画「ゴンドラ」は2017年早々に待望のリバイバル上映される!!

 

30年前の映画『ゴンドラ』は、今、なぜ奇跡のロングランヒットとなったのか?伊藤智生=TOHJIRO監督にその理由を訊く

増當竜也(ライター)

 両親が離婚して母親に引き取られ、心を閉ざしながら日々を過ごす少女かがり。青森から上京して高層ビルの窓ふきの仕事に従事している青年・良。都会で孤独に生きる二人は、出会い、やがて良の故郷へと赴く……。 1986年に完成し、88年に公開されるも、その後30年近くも表に出ることがなかった幻の名作『ゴンドラ』が、今年ついにリバイバルされましたが、1月28日から東京ユーロスペースで1週間、35ミリ・フィルムでレイト上映が始まるや、右肩上がりに観客を動員し、最終日は何と満席! 続いて2月15日からポレポレ東中野にてデジタルリマスター上映された折も連日の盛況で、結果として2週間の興行予定を1週間延長する事態に! そして急遽3月25日より2週間、キネカ大森にて35ミリ・フィルム上映での再続投が決定! また同日から名古屋シネマスコーレにて2週間、4月22日から大阪シネ・ヌーヴォ、5月には京都みなみ会館、神戸元町映画館と、上映が続きます。 およそ30年前の小さな映画が、21世紀の今、なぜ奇跡的なロングラン・ヒットとなったのか……?

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街vol.215》
 『ゴンドラ』の伊藤智生監督に、今回の盛況を受けてのお気持ちや、作品のこと、そしてこれからのことなど伺いたいと思います!

|自主映画活動からAVまで伊藤智生監督のプロフィール

 インタビューに入る前に、伊藤監督のこれまでのキャリアをざっと紹介していきましょう。 伊藤智生(ちしょう)監督は1956年生まれ。中学時代に映画監督を志すようになり、75年、横浜放送映画専門学校(現・日本映画大学)に第1期生として入学。 76年、森﨑東監督の傑作『黒木太郎の愛と冒険』(77)に脚本&映画監督志望の青年役で参加。79年には六本木にcreative space OMを設立して数多くの自主映画作家をサポートしつつ、自らも映画&演劇活動に勤しんでいきます。 84年、第1回長編映画監督作品『ゴンドラ』の製作に着手し、86年に完成。海外の各映画祭で絶賛された後、88年にテアトル新宿で公開されて大いに注目されるも、製作費の借金返済と生活のために89年よりAV業界に“TOHJIRO”名義で身を投じたところ、これが大成功。 2001年には自社メーカーDogmaを設立し、今も精力的に作品を作り続けています。 そして60歳の還暦を迎えた2016年、ついにTOHJIROは伊藤智生に戻って『ゴンドラ』に続く一般映画第2作を撮ることを決意し、その覚悟の証として『ゴンドラ』をデジタルリマスター化したところ、リバイバル上映の機会を得て、そして……。
|老若男女を問わず、今の観客のほうがこの映画に素直に反応してくれている

 ──このたびは『ゴンドラ』リバイバル上映のロングラン・ヒット、おめでとうございます! 伊藤 ありがとうございます!でも、自分でも不思議でならないんですよ。30年前に作った映画が今の時代にこうも受け入れられたということが……。 ──主人公のかがりちゃんや良の孤独や哀しみといった繊細な面持ちは、製作当時の80年代後半よりも、むしろ今の時代のほうがフィットしたということではないでしょうか。バブル真っ盛りだった30年前も、本当はみんな哀しくつらい想いをそれぞれ抱きつつ、しかしそれを表に出すことにはどこかためらいがあった。でも虚飾が剥げた今の時代の若者たちのほうが、素直に哀しさや寂しさなどを露呈し、『ゴンドラ』のスピリッツにも共感してくれる。 伊藤 実は初公開当時、いろんな人が批評してくれたんですけど、正直トンチンカンなものが大半だったんです。でも今回、SNSなどに書き込んでくる人たちのコメントのひとつひとつが実にユニークで、こちらの意図を汲んでいる大当たりなものばかりなんですよ。また今回の観客層を見ると実は若者だけでなく、年配層も多いし、男女比も同じ。これにも驚いています。 ──確かにSNSの書き込みを読みますと、みんな“今”の映画として捉えている節が大いにあります。 伊藤 もともと今回のリバイバル上映は、せっかくデジタルリマスターを作ったのだから、見たことがないけど一度見てみたいという周りの声に応えたくてやったものなんです。その上で「俺は第2作を撮るぞ!」という決意表明ができれば、というくらいの気持ちだったのが、いざユーロスペースの上映が始まるや、たくさんのお客さんが来てくれた。ポレポレ東中野さんは1週間追加上映してくれたし、その最終日の2日前、そろそろ東京も終わりだなと思っていたらテアトルさんから連絡があって、急遽キネカ大森での上映も決まった。つまり30年前の映画が今の時代に6週間も上映されているわけで、地方も名古屋、大阪、神戸と回りますから、これはもう奇跡というか前例がないことですよ。 ──こういう結果になるとはご自身、想像もされてなかったですよね。 伊藤 ただ、この映画は理屈ではなく感覚で作られていますので、その皮膚感みたいなものは、Lineなど言葉よりも絵文字やスタンプで意思を伝えることに長けた今の世代のほうが素直に受け入れやすいのかなとは思います。また今回当たる根拠なんて全然ないのに、それぞれの劇場さんが上映を引き受けてくださった。その心意気にこちらも応えなければと思って、宣伝とかやれるだけのことはやろうと決めたんです。さすがに30年前の映画だし、大手マスコミが採り上げてくれることは期待できない。ならば信頼出来るのはネットと、あと今回はAVショップさんがいろいろ協力してくれて、関東地区だけでチラシ4000枚くらい置いてもらえたんですよ。もう四半世紀以上いるAV業界が味方になってくれたんです。また昨秋、有明でAVの祭典があったのですが、そこで『ゴンドラ』の予告を流したりチラシを配ったりね。もう場違いもいいとこだけど(笑)。ニコニコ動画の実況&配信者として人気の“うんこちゃん”こと加藤純一君と仲良くなれたことも大きかったですね。彼とDoguma絡みの番組を一緒にやったことで、ニコ生ファンが「何か変なオヤジがいる」って(笑)、かなり僕のことを知ってくれたみたい。その後『ゴンドラ』の特番もやらせてもらったし、それこそ引きこもりやニートみたいな連中からも注目してもらえて、劇場まで足を運んでくれたんです。
|まさに作品の成否を担った見事なキャスティングの妙

──そもそも映画『ゴンドラ』は、主人公かがり役の少女(上村佳子)との出会いから企画が始まったと、作品のホームページに監督じきじきに記されています。当時、心を閉ざしていた少女が映画の主演を引き受けたことが、正直不思議でもあるのですが、実際はどうだったのですか? 伊藤 もちろん最初は嫌がってましたよ。ただ、彼女と知り合って半年くらいだったか、ちょうど六本木WAVE館オープニングイベントのために僕が高橋幸宏さんのPV『ドアを開ければ』を演出することになって、そのとき彼女を主演の天使の役で起用したら、普段は不愛想で感情を表に出さない子なのに、キャメラの前ですごく活き活きしてたんですよ。明らかに彼女は楽しめていたという実感があった。それからですね。彼女で長編映画を撮りたいという想いがあふれてきた。 ──やはり彼女ありきの企画だったわけですね。 伊藤 ええ。心を閉ざした少女の話。ただ、彼女と知り合う相手の設定とか未定のまま、フラフラ街を彷徨って、ふと見上げたら高層ビルのゴンドラを見えてこれだと、何もかも一気に構想が固まっていきました。そして彼女に対しては最終的に、やりたくない理由、やってもいい理由、それぞれ箇条書きにしてくれと頼みました。やりたくない理由はいっぱい書いてありましたよ。「ラクダのおっちゃん(伊藤監督のこと)がうるさいから」とかね(笑)。ただ、やってもいい理由が3つ書いてあった。「楽しいかもしれない」「自分のためになるかもしれない」、そして最後が「目立ちたい」と。つまり彼女はやりたかったんですよ。だからこの部分を強く押し、彼女の説得に成功しました。 ──その相手役の青年・良役の界健太さんは? 伊藤 彼は僕の弟で、当時OMに集う役者集団“闘魂組”に参加してたんです。実は最初、もうひとりイケメンで男臭い奴がいて、彼か弟かどっちで行くかってことで彼女と一緒にカメラテストさせたら、イケメンのほうだと彼女がどこかしら「女」の顔になっちゃうんです。でも弟だとまったくそれが出なくてピュアなんです。この映画のキモは、少しでも犯罪色が出たら全部御破算というか、ただの変態誘拐映画になってしまう。実際、弟は不器用で時間が止まってるかのように地味でストイックな奴でしたから、これはもう弟で行こうと。 ──二人とも今は引退して…。 伊藤 ええ、今は社会人やってます。もう30年経ってますし、映画のイメージのまま、そっとしておいてもらえたらありがたいですね。 ──二人以外のキャスティングも素晴らしいですね。特に良の母親・佐々木すみ江さんと、かがりの母親役・木内みどりさんとの対比がお見事です。 伊藤 かつて今村昌平監督の『にっぽん昆虫記』(63)を見たときから、佐々木さんにはいつか必ず僕の映画に出てもらいたいと願い続けていました。木内さんは和製ダイアン・キートンですね。当時はTVですごく多忙な中、都会を生きる女性の一つの象徴として、どうしても出ていただきたかった。 ──実はこの映画、女性3人の裸があからさまに映されるのが驚きでもあるのですが、 実はそれがあるからこそ、映画に説得力がみなぎっていますね。 伊藤 お風呂のシーンのとき、佐々木さんから「全部脱ぎますか?」と聞かれたので、「お風呂では全部脱ぎますよね」と答えたら、「正面から撮りますか?」「撮ります」「わかりました。ただし私、三段腹ですけど」「それがいいんです」。かがりちゃんはごねてたけど、「おばちゃんも三段腹出すのに、何言ってんの」と、巧みに誘導してくださいました(笑)。 ──実の母親がいる都会のシャワー・ルームではなく、田舎の古びたお風呂でかがりちゃんは良の母親と一緒に、普通に裸になる。ここも象徴的だなと。 伊藤 西洋では親子でお風呂に入るってことはないらしくて、東洋ならではらしいんです。添い寝するって文化も向こうはないみたいで、でも日本では母親と子供のスキンシップって大きな要素だし、風呂って肌を合わせて心を通わせる象徴になると思えたんですよ。つまり良のお母さんは「母親」だけど、かがりのお母さんは「母親」になりきれてない。逆にその部分ゆえに今の若い女性が木内さんに感情移入してくれている理由なのかもしれません。 ──ただしこの映画は、都会=悪、田舎=善といった図式に陥ることを巧みにかわしていますね。また双方の父親たちの弱さが、必死で生きている母親たちの強さとの対比にも思えます。 伊藤 僕自身に都会だ田舎だといった考えは毛頭ないですし、どちらもリアルに存在している世界ですからね。ただ、出門英さん扮するかがりの父親は、いつまでも夢ばかり追いかけて現実を見ていないという点で、実は僕がモデルでもあるんです。また良の父親役の佐藤英夫さんは、病気で顔や腕など右半身が麻痺している設定でしたが、僕は生意気にも佐藤さんに「僕は日本の役者を信じてないし、麻痺している演技が嘘くさくなるのは嫌だから、歯医者で麻酔入れてもらって、舌がベローンとなる感じを出したい」なんて、とんでもなく失礼なことを言っちゃったんです。でも佐藤さんは怒りもせずに「わかりました。やれるだけのことはやってきますので、あとは監督の判断で注射でも薬でも何でも使ってください」と。いざ撮影で青森の空港にいらした佐藤さんは、その時点で入れ歯を外し、麻痺した父親そのものでした。海岸を歩くシーンの右腕の手袋も佐藤さんのアイデアです。こういった患者の人たちは往々にして麻痺している側に手袋をしているんですよ。また「監督がそうしたければ、アップじゃなくて背中だけ撮ってもいいから」って、すごく言ってくださいましたね。 ──田舎のお風呂には蜘蛛も出てきますが、それ以前に蜘蛛はイメージショットで幾度か出てきますね。 伊藤 心理学的に言うと、あの年頃の女の子が蜘蛛の夢を見たりするのは、ファザーコン プレックスの象徴なんですよ。でも田舎のお風呂にいるのは現実の蜘蛛。つまりそれまでの妄想からリアルへと、彼女の心の変化を意味しているんです。でも、そういったところも自由に解釈してもらえれば。こちらは説明もしてませんしね。
|若き日の森﨑東監督との交流そして次回作の構想

 ──さて、『ゴンドラ』初公開の後、伊藤監督はこの映画の借金返済のため、AV業界へ移られるわけですが……。 伊藤 この映画は製作費5000万円かかってるんですけど、初公開のときの興行収益と、あとはビデオ化権で半分くらいは返済できたんですね。で、残りの2500万円を返すのに15年くらいかかった(苦笑)。 ──私も初公開時にテアトル新宿で見ていましたので、その後伊藤監督がどうなさっているのか全然知らなかったのですが、まさかAV界の巨匠TOHJIRO監督と同一人物だったとは! 伊藤 まあ、普通はなかなかイコールにならないですよね(笑)。実際、今回のリバイバルでそのことを初めて知った映画ファンはいっぱいいると思います。 ──森﨑東監督との関わりも教えていただけますか。どのような経緯で『黒木太郎の愛と冒険』に携わることになったのでしょうか。 伊藤 横浜放送映画専門学校に森﨑さんが講師でいらした日の夜、飲み屋で酔っぱらってた勢いで僕が「てめえみたいなジジイがつまんねえ映画作ってるから、日本映画はだめなんだ!」みたいなことを言って、それこそつかみ合いの喧嘩になったんですよ。でもその2日後くらいに森﨑さんから「俺とホン書かないか」と連絡があって、それが『黒木太郎の愛と冒険』なんです。その中で映画監督志望の青年という自分を投影させた青年を登場させたら、森﨑さんから「お前がやれ」と。そして映画が完成した後、これからどうやっていったらいいのか森﨑さんに相談したら「お前は自分の世界があるから、助監督なんかやらずに、銀行強盗してでも自分の映画を撮れ」「もし1回だけ助監督をやるのなら、寺山修司さんにつけ。きっとお前に影響を与えてくれるから」と。ぼくにとって森﨑さんは本当に人生の師匠です。『ゴンドラ』が完成したときも、誰よりも先に見に来てくれて、すごく褒めてくださいました。その日の夜、電話で「お前は日本映画界に絶対嫌われるから、早く世界に行け」と言われました。まあ、AVという別の世界に行ってしまいましたが(笑)。 ──最後に、次回作の展望などを教えていただけますか。 伊藤 昭和39年の東京オリンピック直前の東京・下町を舞台に、母親が心の病に侵されていくことで、とある家族が崩壊していく話を企画しています。まもなく二度目の東京オリンピックも開催されますけど、あのときも現実は今と同じように、決して明るいものではなかった。少なくとも『オールウェイズ 三丁目の夕日』みたいなものとは真逆の映画になりますね(笑)。外の世界はあまり撮らずに横丁だけというか、狭い世界の中での家族に絞って撮れたらと考えていますが、日本ではなく台湾にロケセットを組もうかとも思っています。スポンサーがつくとイコール口が出るので、あくまでも自分の金で撮る。ようやくAVという名の竜宮城から外へ出る決意ができましたので(笑)、これからは再び映画監督として邁進していきます!
 (文:増當竜也)

キネマニア共和国~レインボー通りの映画街~ ゴンドラ
 3月18日 シネマズ記事
 https://cinema.ne.jp/recommend/gondola2017031811/

 


熱心に記事展開してくださった

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